2018年5月3日木曜日

人形劇団むすび座の『父と暮せば』について by谷英美

先週土曜日、人形劇団むすび座の『父と暮せば』を、埼玉県の富士見市民文化会館キラリ☆ふじみで観た。

むすび座さんには何の恨みもないけれど、観客を育てられなかった演劇人の一人として、今さらながら解説させていただく。

まず、人形の扱いが酷い。

人形遣いが2名、語り手が2名、そこまでは判る。

しかし開始早々、父親役の語り手が調子に乗って演技を始め、《人形遣いが不貞腐れて、人形をセット上に投げ出す》シーンがあった。

これが何を意味するか、聡明な読者はすでにお解かりだろう。

観客は、人形を《おとったん》と思って観ているのだ。

俳優が《人形をセット上に投げ出す》という行為は、人形は《おとったん》ではなく、ただの人形だとバラすことになる。

この《人形劇は嘘》だと暴露する自爆行為だ!!!

嘘を誠にする演劇のマジックを、創る側が自ら放棄してどうするのだ?!!!

そんなコ芝居で、演出家は一体何を表出したかったのか、全く理解できない。

二つめは、この作品の肝となる第3場が酷い。

この景は、この舞台の出来の分水嶺だ。

主人公の美津江は、原爆で親友を亡くしている。

その親友の母親に「何で(うちの子が死んで)あんたが生きとるん」と言われるシーン。

幼い時に母親を亡くし、親友の母を実の母のように慕っていた美津江は、ショックで感情が死に耐える(だろう)。

こういう時の人間は、涙も出ず、無表情だ。

それでいてMAXのショックをどうしたら表わせるのか…私は、この役をやりながら毎度悶絶している。

映像演技でいえば、ドUP的リアルでいて、1000人収容の大ホールでも通用する芝居というのは、実は根っ子は一緒だ。

一緒だけど、お客さまに伝わるように演じるのは、とても難しいことなのだ。

このシーンを、むすび座さんは、俳優陣が装置内を四角く行進しながら輪唱していた。

「何であんたが生きとるん」「何であんたが生きとるん」「何であんたが生きとるん」「何であんたが生きとるん」…

この処理はナイでしょう!!!

役者が下手過ぎて、こうするより他なかったのだろうか。

まさか、美津江のショックを表出するため、ベストな演出と考えたわけではないと信じたい。

三つめは、第3場のラスト。

この景の冒頭では、ユーモラスだったおとったんの言葉遊び歌が一転。

降り止まぬ雨に天を睨み据え「雨、雨、止まんかい、おまいのとったんごくどうもん、おまいのおかやんぶしょうもん」で、父親の咽び泣きを、どう伝えるか…

男親ゆえ、娘の恋の応援の仕方を勘違いしてしまう切なさ…

亡き妻に、「何で俺を遺して先に死んでしまったんだ」「俺は、娘のために、どうしたらいい?」泣きたい気持ちで天を睨む切なさを、どうしたら声で表現できるのか…

私は毎度、相手役に、悶絶しながら演技指導している。

そのシーンを、あっさり俳優4人で《合唱》処理はナイでしょう!!!

理解できない演出処理で、80分で終わる芝居を、2時間も椅子に縛り付けられて地獄でした。

この舞台をよしとする人たちに、異議を唱えたい私です。

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