2012年4月30日月曜日

2012年5月3日 小江戸きものファッションショーに出演しま~す

12:10~
@川越市 蓮馨寺境内特設ステージ
主催 小江戸川越観光推進協議会

金子みすゞの生涯を描いた一人芝居『空のかあさま』の、初代の衣裳で出演します。みすゞの時代に合わせ、ヴィンテージの着物を使っているため、2~3年しかもちません。今ステージで着ているのは、三代目です。幻となった初代の衣裳、どうぞ見にいらして下さい!

会場で、陸前高田の知的障がい者作業所<あすなろホーム>商品と、戸羽市長の著書『被災地の本当の話をしよう』も販売しま~す。販売を許可して下さった観光協会さん、販売用の机を快く貸して下さった蓮馨寺さん、本当にありがとうございます。

蓮馨寺の和順会館でやっている朗読教室<みすゞ塾>のPRもできるといいな☆smile☆でも雨の予報で、お天気が心配…。皆さん<晴れ乞い>をしていて下さいね。でも私は雨女なの(涙)…っていうか、雨を通り越してほとんど<嵐を呼ぶ女>。マジ心配です(笑)。

2012年4月22日日曜日

2012年5月5日・6日 陸前高田に支援物資を運びます

GW、仮設店舗ですが、陸前高田に<商店街>がオープンします!名付けて<つどいの丘商店街>。物やサービス、飲食を提供するだけでなく、人が集い、復興への力を生み出す場にという願いが込められているそうです。

オープンのリーダーとして奮闘している居酒屋<わいわい>の店長さんが、支援物資要請のSOSを発信しています。リクエスト物資のリストは、店長さんのブログでご確認下さい。
 http://ohta-ke-world.cocolog-nifty.com/blog/ 

物資募集の締め切りは過ぎていますが、5月5日・6日、『アローン・シアター』事務局が、集まった物資をトラックで運びます。支援の品をご提供下さる方は、ご一報下さい。

<わいわい>さんには、先月の朗読会で、舞台設営用のビールケースをお借りしました。お世話になった店長さんのお役に立てればと思います。応援、宜しくお願いいたします。

つ・い・し・ん
先月の朗読会に同行し、瓦礫撤去作業ボランティアをした大学生も、5月5日・6日、また一緒に行きます。彼は、指導している<みはし剣道クラブ>のHPに、先月のボランティアレポートを載せています。ぜひ、ご覧下さい。
 http://mihashiken.web.fc2.com/index.html 

この剣道教室の子どもたちに被災地を見せたいと、中学生を3人連れて行くそうです。実際に陸前高田の地に立ち、自分の目で見ることは、子どもたちにとって宝となることでしょう。大橋クンの熱い想いに感動!!!今回は一緒に行かれなくて残念です。長の道中、くれぐれも気を付けて。そして店長さんはじめ、陸前高田の皆さんにも、宜しくお伝え下さいね*smile*

2012年4月17日火曜日

2012年4月9日 みすゞ塾レポート

ファンパーティのことを先に書いたので、塾のレポートが遅くなってしまいました。パーティには塾生も参加して下さり、嬉しかったです。

さて、先週の塾は、満開の桜のもと、境内で野外学習。お天気にも恵まれ、絶好のお花見日和。自然相手のことなので、なかなかこうはいかないのです。桜の見頃と、塾の日が合わなかったり…。満開なのに雨だったり…。今年は最高!巡りあわせに感謝です。

花には団子…と、お菓子を持参。陸前高田の障がい者作業所<あすなろホーム>の煎ベイジャーを持っていきました。これは、岩手名物・南部煎餅を今風にアレンジしたスナック。味は4種類。今回は、メープルと、新しく加わった<ハバネロ>味を持っていきました。塾の皆さんは、折にふれ、<あすなろ>の商品を共同購入して買い支えてくれています。なので、新製品の試食も兼ねて*smile*

<あすなろホーム>は、津波の被害は受けなかったのですが、商品を買ってくれていたところが被災して、販路が無くなってしまいました。SOSを発信しています。ぜひ、取り寄せて、支援してあげて下さい。宜しくお願いいたします。
 http://www.yanya.com/20110311/index.html 

塾生を含め、たくさんの友人たちが、イベントで販売する等の協力をしてくれています。本当に有り難いです。また塾生に、丸木美術館の理事さんがいるというご縁で、被災地支援バザールの売り上げを<あすなろ>に寄付して下さいました。数ある被災地の中から、寄付先に<あすなろ>を選んで下さった丸木美術館にも、本当に感謝です。

…ということで、煎ベイジャーだけでなく、以心伝心で持ち寄った各種<団子>をつまみつつ、川越名物<太麺焼きそば>をいただきました。B級グルメで有名になったこの焼きそばの屋台が、境内にあるのです。「食べたいなぁ…」と思いつつ、ず~っと機会を逸していたのですが、やっと念願叶いました!お・い・しかったです。

食べ物の話ばかりになってしまいましたが、ちゃんとお稽古もしましたよ(笑)。切り良く新年度から、学習方法もリニューアル。みすゞ豆知識は、矢崎さんの『金子みすゞの生涯』を下敷きにしたものから、今野勉さんの『金子みすゞふたたび』に。詩も、これまではみすゞの生涯に沿って私が選んできましたが、全集を5編ずつ読み進めることに。初回は第Ⅰ詩集『美しい町』より、「障子」「おさかな」「雲」「芝居小屋」「八百屋の鳩」。みすゞには、野外が良く似合う。のびのび朗読した声が、青空に吸われてゆきました。とっても楽しかったです。

2012年4月14日土曜日

2012年4月11日 ファンパーティレポート

ありがたや!灰地先生は、素敵な朗読をプレゼントして下さいました。プロに、しかも自分の師匠筋にあたる方に、たとえ詩一編であってもノーギャラで朗読を頼むなどというのは、大変失礼なことです。おねだりはしましたが、「ごめんなさい」されて当然とも思っていました。

でも先生は、朗読する作品まで準備してきて下さいました。作品選びの手数をかけさせるのも申し訳なく、『明るい方へ』をお願いしたのですが、「みすゞは、英美がやった方がいいと思うよ」と。

先生の朗読は限りなく素敵で…感涙に咽んでしまいました。まず最初に山村暮鳥の「雲」。もう一つは、知らない作品でした。私があんまり感激しているものだから、先生は自主的にアンコールに応えて下さいました。

先生の元に通っていたのは、10代から20代にかけての数年間。二十歳のお誕生日を、恵比寿のビヤホールでお祝いして下さったのは忘れられない思い出です。あれから早幾年…。

「その頃の教え子で、今でも芝居を続けているのはこの子だけです。頑張りやの英美を、今後ともどうぞ宜しく」と、もったいないようなご挨拶をいただきました。皆さん「TVに出ている俳優さんが、どうしてここに?!」と驚いておられました。大好きな先生を自慢できて、とっても嬉しかったです☆何よりの華を添えていただきました。

罠を仕掛けたわけではないのですが、ファンパーティに顔を出したのが運の尽き…ならぬ運の付き?(笑)。実は私、先生の胸をお借りして、何かご一緒させていただきたいと何年もラブコールを送り続けているのです。

先生が「良い作品があるよ」と教えて下さったのが、川上弘美の『センセイの鞄』。素晴らしい作品に惚れ込み「ぜひやりたい」とお返事したのですが、実際に朗読会をやるとなるとなかなか難しいこともあって、いまだ実現していません。

応援団の皆さんに灰地先生をご紹介できたことですし、これを機に、ぜひ実現させたいなぁ!きっと皆さんもご協力下さることでしょう。なんとか先生を口説いてみます。

はるばる大船渡からご参加下さったお二人との交流も、貴重なひとときでした。被災地への想いをつなぐことに、ちょっぴり貢献できたかな。

おかげさまで、5周年にふさわしい賑わいとなりました*smile*

2012年4月8日日曜日

スペシャルゲスト

4月11日のファンパーティに、朗読の師匠が来て下さることになりました!!!灰地順先生です☆Love☆
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%B0%E5%9C%B0%E9%A0%86

先生のウィキ↑で、育成した若手俳優として、石田えりさんや若村真由美さんに混じって私の名前が…(自慢・笑)!

先生は、とても素敵な俳優さんです。だ~い好きな憧れの先生。来て下さるのは、とっても×2嬉しいけれど、どうしよう…キャ~、恥ずかしい!!!

だってだって、エミネンスLiveというショータイムをやるのですが、会場は小さいカフェ。今回の衣裳は露出度高いし、先生に間近で見られるのは、むっちゃ緊張する。

それにラストの曲は、けっこう生に「女」な歌だし、ど・ぼ・じ・よ~…。もう、今からドキドキしてる。

よそではめったに見られない、借りてきたネコのような谷を見られるかもしれませんよ。さ~、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい…と言いたいところですが、小さいお店なので、現在のお申し込み状況で満杯かも。「行こうと思ってたのに」という方、来年のパーティにぜひいらして下さいね*Smile*

灰地先生には、エンディング、師弟競演で金子みすゞの「明るい方へ」を読んでいただけないかと、おねだりしています。お祝いのプレゼントに、読んでいただけるといいなぁ。

2012年4月5日木曜日

みすゞの父の死

金子みすゞのお父さんは、明治39年、みすゞが3歳になる頃に亡くなった。中国(当時は、清といった)に出した本屋を任され単赴任していたが、反日感情の高まりの中、清国の馬賊に殺された…ということになっている。埋もれていたみすゞの詩を世に出した功労者、矢崎節夫氏の「金子みすゞの生涯」(JULA出版)という本には、そう書かれている。

みすゞの故郷、仙崎には、非業の死を遂げた者は代々の家の墓には入れず、無縁墓に入れるという慣わしがある。なのでみすゞのお父さんは、無縁墓に入っている。自死したみすゞもまた、同じ墓に眠っている。

しかし、今野勉氏の「金子みすゞふたたび」(小学館)に、実は病死だったことがわかる、当時の満州日報の記事を見つけたとある。この発見は、読売新聞でも報道された。そして驚くべきことに、みすゞのお母さんが、実は病死だということを知っていたことがわかったと…。しかし、それなのになぜ、わざわざ自分の夫を無縁墓に入れたのかは、わからないそうだ。

家族にとって、殺されたのか病死なのか、はたまた無縁墓かそうでないかは大きな違いだろう。お母さんの謎の行動と合わせて考えた時、父の死が、みすゞの人生と作品世界に与えた影響ははかりしれない。

でも矢崎氏は、一昨年のイベントで、この発見を否定していた。「みすゞトーク」という、ゲストとのトークイベントで。「新発見と騒いでいる人がいるようですが、死んでいることに変わりないわけだから、どんな死に方かは関係ない」と。

関係ないわけないでしょう(笑)!こういう方の語る金子みすゞの世界を、多くの人が有り難がって聞いている。その欺瞞に気付く人も増えてきた。昨年暮れの週間文春で叩かれたのは、その兆しだろう。

10年前は、矢崎氏への疑問を口にしても、誰にも相手にされなかった。下関在住の金子みすゞ研究家、木原豊美先生を除いては。しかし、この10年で山が動いた。10年後には、何が本当で誰が本物なのかわかる時代がくる。私なりに、ガンバってゆこうと思う。

引っ越し:追記

谷英美サイト は、この旧ブログへお引越し予定。サイトは閉鎖予定です