2008年8月30日土曜日

身辺雑記

昨日は、1月大宮公演の実行委員会「はじめの会」でした。主婦達の手作り公演となります。
 実行委員長の女性は
「ガンバって結果を出して、フツーの主婦でもやれる!という実績を作ろう。そうしたら谷英美を囲む会の会員が、それぞれの居住地で上演していけば、県内全市で上演も夢じゃない!」と嬉しいことを言って下さいました。
県内全市 → 一都六県 → 全国ツアー…へと夢はでっかく!

 ホームページ経由で千葉の男女共同参画室からも御申し込みがあり2月公演決定、千葉へは初進出となります。

 カレンダーや一筆箋等のみすゞグッズを販売している会社が私の活動に関心を持っていて下さることを、人づてにうかがいました。川越公演、来たかったのにチケットが手に入らなかったそうです。

 私の知らないところで活動が広がり、人が繋がってゆく胎動を感じます。10年、赤貧に耐え(笑…笑ってる場合じゃない?!いやいややはり、こんな金にもならんこと、笑わなきゃやってられん・涙)、『アローン・シアター』を続けてこられたことに感謝して応援して下さる方々と誇りと喜びを分ち合いながら、精進を続けてゆきたいと思います。

     広がれ、みすゞの魂!!響け、みんなの心に!!

2008年8月11日月曜日

久美ちゃんへ

 前期試験が終わったとのこと、お疲れさまでした!優秀な皆さんのことだから、心配なかろうと拝察しています。

*基礎実習について”
 「登場人物って何?」と聞かれると、ちゃんと定義できない自分に気が付き、新たな発見でした。ハラハラ、ドキドキしながら見させていただき、不謹慎な言い方ですが楽しかったです。この展開を、どうまとめて授業を終わらせるのだろうととても気になっていたのですが、一番気になる“終わらせ方”を拝見できず心残りでした。でもこの経験は、大きな収穫となったことと思います。

 佐藤先生の書道展、行かれたのですね!私は、せっかくの佳作受賞作なのにうかがえず、とても残念でした。私は書は門外漢で不案内なのですが、先生を通じて見る楽しみを学ばせていただいています。みすゞ人気も嬉しいです。近代詩文だと、少なからぬ方が みすゞの詩を書いていますから。
 佐藤先生には、チラシの題字や、『アローン』のロゴマーク、果ては舞台背景の装置として大作の書を書いていただいたりしているんですよ!10月5日(日)クレア鴻巣でも、みすゞ詩を使った「ポエトリー・シアター」で、実験的なステージを創る予定です。よかったら、ぜひいらして下さいね。

*ひめゆり*
 見て下さったのですね、ありがとうございます!沖縄に関心を持ってくれて、嬉しいです。沖縄戦のことをちゃんと知っている人は、本土ではとても少ないです。ヒロシマ・ナガサキのことを知らない人はいないのに…。悲惨さを比べることはできませんが、ボタンを押したら核爆弾が破裂して人が死ぬことと、生身の人間同士が殺し合うことの酷さ…。集団自決では、親が子を、子が親を殺しました。私には、後者の方が胸に迫るものがあるのです。

 久美ちゃんにとって、戦争とはどんな位置づけなのでしょう?私にとっては、戦争も憲法九条も家族の問題なのです。「こんなことをするために生まれてきたわけではない」というドラマの台詞を書いてくれましたが、まさにその通り。私は息子を、戦争で殺されたり、誰かを殺させたりするために生んだんじゃない。私にとって平和は天下国家という政治レベルの話ではなく、家族の問題なんです。

 沖縄を見ると、日本という国がどういう国なのかが見えてきます。どうか沖縄のことを、ちゃんと知って下さい。そして先生になられた暁には、子供たちに語って下さい。
 来年、沖縄に行かれるのですね。佐喜真美術館に行かれることを、お薦めします。原爆の図を描いた丸木夫妻の「沖縄戦の図」が常設展示されています。

 私も14日から沖縄に行ってきます。「ひめゆり」トークショーのお仕事を下さった恩人のジャーナリスト・近田洋一さんが、6月7日に亡くなられました。新盆のお墓参りをしてきます。もちろん、佐喜真美術館にも行ってきます。本当は、近田さんと一緒に行きたかった…。近田さんからの宿題を、ガンバって果たしてゆかなければ!
 基礎実習同様、久美ちゃんの旅も収穫の多い旅となりますように*smile*

2008年8月5日火曜日

まずは史帆ちゃんへ

 史帆ちゃんの“みすゞ観”、多くの共感を持って読ませてもらいました。ありがとう。命を謳う みすゞが、なぜ自死を遂げたのか…彼女の弱さを指摘する声もあります。でも人でも物でも“否定”から入ると、大事なことが見えなくなる恐れがあると私は考えています…私が考えているというか、6月に亡くなったかけがえのない方から教わったことです。(このことは子供たちと接する時にも、ぜひ大事にしてい下さいね。)

 みすゞは、充分強かったし、頑張った。ただ、支えてくれる人がいなかっただけ。雪に耐え、しなる枝には、もとに戻ろうとする力がある。でもたまに、耐え切れず折れてしまう枝もある。そこに“つっかえ棒”という支えがあれば、折れずにすむ。私は彼女の死を、そのようにとらえています。彼女は、本当にひとりぽっちだった…。孤独という毒は、命を蝕むに充分な強さを持つ毒です。人間が根源的に抱えている孤独は、一人で引き受けるしかないものですが、と同時に、人は一人では生きてゆけないものだと私は思っています。

 彼女の死生観において、死は生から切り離されたものではなく、生と地続きの身近さで傍らにあった。自殺願望というとちょっと違うかもしれないけれど、恵まれない境遇が死へ傾斜させていった部分はあるかもしれません。死が傍らにあったからこそ、あんなにもキラキラと命のきらめきを掬い取ることができた!!!史帆ちゃんも言っている通り、そういう人だからこそ書けた詩だろうと、私も思います。生き様と詩は不可分です。

 授業でふれることはできませんでしたが、みすゞには、心の闇を映している詩も、実はたくさんあります。そんな負の部分も、私は愛でてゆきたいと思っています。「生きるための汚物は、全て劇的で美しい」…私の一人芝居を書いて下さった師匠の言葉です。地を這うようにして、喰えない芝居を続ける私に贈って下さいました。「自分自身を励ますための言葉です」との添え書きと共に。

 みすゞにも、もっとたくましく生きて、書いてほしかった。でも筆を折った時点で、生き抜くことも難しくなってしまったのでしょう。みすゞの書いた詩は、彼女自身を支えていたと私は考えています。彼女の詩が、多くの人の心の慰めとなっているのは必然と言えるかもしれません。みすゞは、生きるために詩を書いた。みすゞ自信の生きる支えであった言葉が、今を生きる私たちを支えてくれるのは、ある意味当たり前といえば当たり前。みすゞの詩は、宗教と結びつけて語られることが多いです。昔は、かなり引いていました(笑)。でも今は、わかるような気がしています。

 今回のみすゞの知識が、直接授業に役立つことはないかもしれません。でも深みのある授業をするには…というヒントになれば嬉しいです。文学は、人が生きることを感動を通して学ぶ素晴らしい学問だと思うから。子供たちに、その素敵さを伝えられる先生になれるよう、ガンバって下さいね*smile*

基礎実習♪

[1] 久美子 2008/08/05(Tue)-10:44 (No.66)
谷さんへ
遅くなりました。学校の前期試験がつい先ほど終わりました!
*基礎実習の感想*
「盆土産」を授業させていただいた鈴木です☆
指導案通りにいかない予想外の展開になることを学びました。
経験を積めば予想外の展開を良い方向にもっていけるようになるのだろうなあ・・・と先月の模擬授業の経験と応用実習終了後の先輩方の話を聞いて今一番思うことです。
しかしながら、授業直後は混乱して強行突破で授業(板書)をしたとただそれのみが頭にいっぱいでしたが、今思うと「登場人物ってなに」について導入でいれたのは、予想外だったけど面白かったかな・・・と思えるようになりました。
失敗は成功のもとを大きな形で得られたと思える基礎実習にできました。
付け加えて7/12佐藤先生の書道展に行かせていただきました(^U^)
「わたしで不思議で・・・」の詩があまりにも立派な文字で圧倒させられるものでした!!
みすずの詩を書いている方々が多いことにも驚きました!
*ひめゆり*
7/31の18:30~からの上演を拝見させていただきました。
実際に人を殺さず「看護」の立場にいても、人間の心を忘れてしまうことが戦争の一番恐ろしいことと理解しました。話をきいているうちに体の中が熱くなっていくのを感じました。
ひめゆり学徒の話ではありませんが、以前にTBSのドラマで「さとうきび畑」というドラマで沖縄戦の情景を知りました。ドラマで最後に主人公が、上官に殺せと言われた米兵を殺すことができなく「こんなことをするために生まれてきたわけではない」と嘆きながら上官に殺されていきます。しかしひめゆりをみて、沖縄戦末期で自分さえも「自決」して死にたいと考えたのに、米兵に対してそう言って死んで行く人は本当にいたのだろうかと漠然と考えました。
人の死がこんなに小さなものとして片づけられてしまう時代があったことは地球の歴史上で最も恥ずる部分と私は考えます。
胸に突き刺さるような悲しみがその悲しみを経験をしていない人にまで受け継がれてしまうという大きな失敗をしてしまったのに、なぜ、新たな戦争を行う国があるのか、考えるたびに怒りでも悲しみでもなく胸がもやもやとしてきます。
来年に知人のつてで沖縄を訪れる予定があります。機会を作ってひめゆりの塔に訪れたいと考えています。

2008年8月2日土曜日

金子みすゞレポート

[1] 史帆 2008/08/02(Sat)-18:40 (No.65)
谷さんへ

谷さんに基礎実習中にお世話になった史帆です。金子みすゞのレポートを出していなかったので、この場をお借りして提出させていただきます。

 私と金子みすゞとの出会いは、たぶん小学校中学年くらいだったと思う。母は金子みすゞが好きだったため、私の本棚には詩集が3冊あった。ごろんと横になって、よく詩集を開いたのを思い出す。特に深い感動を覚えた、とかいう感動的なことはなかったが、なんとなく親近感のようなものを覚えた気がする。お母さんのこと、けんかのこと。みすゞの見るものは大きく私と異なってはいなかった。ただ見ているものは同じでも、みすゞが紡ぐ言葉は鮮やかに、柔らかく織りなされているように思える。
 というように、形式ばって書いていこうかと思いましたが、なんだか私の言葉じゃないようなので、谷先生にお手紙を書くような気持ちで書くことにします。その方が自然だし、レポートの意味があるような気がします。失礼だったら申し訳ありません。
 何はともあれ、私は割と小さい頃からみすゞを知っていました。そして、3冊の詩集を一通り読みました。深く感動を覚えたわけではなかったのですが、詩人と言ったら私にとってはまずみすゞです。そして私は彼女の詩に対して親近感を覚えるのです。
 先生が今回の授業で紹介した詩以外で印象に残っている詩が何篇かあります。例えば名のない雑草と話とか、はちの中の神様とか、あとはやはりお母様のこと、けんかしたこととかです。みすゞの世界と私の世界は同じだと思いました。同時にだからこそ、あんな風に書けるのはすごいなあと、小さいころは別段すごいとも思いませんでしたが、今になってみれば思います。
 小さい頃からみすゞを知っているといっても、彼女について何を知っているというわけではありませんでした。「あんなに優しい詩を書いたのだから、いい人生を送ったのだ」とは思いませんでしたが、自殺したとは思っていませんでした。樋口一葉と重なって、なんとなく病死かなと。
 彼女の人生を聞くと、あまりにも重くて、悲しくて切なく感じました。ただ、私自身もともと優柔不断で、いろいろ迷ってできなかったりするので、みすゞの人生をもどかしく思う一方、共感できる部分もありました。岡目八目と言うばかりに、傍から見ればあのときこう決断していれば、などと思うでしょうが、そのとき、自分の人生の真っ只中を生きているみすゞにそんな客観的な視点はなくて当然でしょう。それでも、彼女がもっと違う生き方ができたなら、と願ってしまいます。
 私は、谷先生のお話を聞き終わった後、「だからこその詩なのかもしれない」と、それだけを思いました。あんなにも優しくて、柔らかい詩を書けるみすゞと、彼女の人生は切っても切れないものだったのだと思います。谷先生もおっしゃっていたように、「童謡」で包み込まなければ彼女の詩はもっと汚い…と言ったらおかしいかもしれないけれど、人の生をえぐるような、鋭い詩にならざるを得なかったかもしれません。
 また、同時に彼女は、自分の詩の世界に生きていたところがあるのかもしれないと思います。苦痛を、彼女の詩は柔らかく受け止めていたのだろうと思います。先生もおっしゃっていたように、彼女の抱える苦悩はあまりに深いものでしょう。それをそのまま抱えることはできなかったのかもしれません。私は、みすゞは詩を書くことで、自分の苦悩を柔らかい優しさのようなもので包み込んでいたのかと思います。
 私はみすゞを、彼女の詩からこのように考えました。私が感じるみすゞは私の中にしかいません。私だけの詩、言葉のメロディ。彼女の生涯を知ることで、より親しみをもってみすゞの詩を感じることができるような気がしました。

拙い文章で申し訳ありません。とても学ぶところの多い基礎実習でした。ありがとうございました。

引っ越し:追記

谷英美サイト は、この旧ブログへお引越し予定。サイトは閉鎖予定です