明日は、地元・川越の公民館でやっている朗読サークルです。
http://www2.u-netsurf.ne.jp/~apro/html/lecture_regular/work_takashina.html
第1金曜は、みすゞ以外の作品。第3金曜の明日は。金子みすゞ全集をテキストに、お稽古。
朗読の練習だけでなく、みすゞの生涯を学びながら、詩に込められた想いを探しています。
みすゞは、命を絶つ前の年の晩秋から、自死の半月前まで、幼い一人娘の言葉の記録を残しています。
三歳児とは思えない豊かな言葉から、生活状況が見えてきます。いたいけな愛児を遺して、なぜ、みすゞは死ねたのか…?!!!
世間的には、別れた夫が、娘を寄越せと言ってきたことに対する、命懸けの抗議として自殺したとされていますね。
でも、みすゞが命を絶った3月10日、娘を受け取りに行くと言ったとされている、当の夫は東京にいました。
3月10日に娘を受け取りに行くと言ったとされている、当の夫はその日、3月10日、東京にいたのです。
解せないですよね…夫は本当に、「娘を寄越せ、3月10日に引き取りに行く」と言ったのでしょうか?!!!本当に言ったのだとしたら、なぜ言った本人はその日、東京にいたのでしょうか。
金子みすゞに関する権威とされている方の言葉を、鵜呑みにできな私です。
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