2008年8月2日土曜日

金子みすゞレポート

[1] 史帆 2008/08/02(Sat)-18:40 (No.65)
谷さんへ

谷さんに基礎実習中にお世話になった史帆です。金子みすゞのレポートを出していなかったので、この場をお借りして提出させていただきます。

 私と金子みすゞとの出会いは、たぶん小学校中学年くらいだったと思う。母は金子みすゞが好きだったため、私の本棚には詩集が3冊あった。ごろんと横になって、よく詩集を開いたのを思い出す。特に深い感動を覚えた、とかいう感動的なことはなかったが、なんとなく親近感のようなものを覚えた気がする。お母さんのこと、けんかのこと。みすゞの見るものは大きく私と異なってはいなかった。ただ見ているものは同じでも、みすゞが紡ぐ言葉は鮮やかに、柔らかく織りなされているように思える。
 というように、形式ばって書いていこうかと思いましたが、なんだか私の言葉じゃないようなので、谷先生にお手紙を書くような気持ちで書くことにします。その方が自然だし、レポートの意味があるような気がします。失礼だったら申し訳ありません。
 何はともあれ、私は割と小さい頃からみすゞを知っていました。そして、3冊の詩集を一通り読みました。深く感動を覚えたわけではなかったのですが、詩人と言ったら私にとってはまずみすゞです。そして私は彼女の詩に対して親近感を覚えるのです。
 先生が今回の授業で紹介した詩以外で印象に残っている詩が何篇かあります。例えば名のない雑草と話とか、はちの中の神様とか、あとはやはりお母様のこと、けんかしたこととかです。みすゞの世界と私の世界は同じだと思いました。同時にだからこそ、あんな風に書けるのはすごいなあと、小さいころは別段すごいとも思いませんでしたが、今になってみれば思います。
 小さい頃からみすゞを知っているといっても、彼女について何を知っているというわけではありませんでした。「あんなに優しい詩を書いたのだから、いい人生を送ったのだ」とは思いませんでしたが、自殺したとは思っていませんでした。樋口一葉と重なって、なんとなく病死かなと。
 彼女の人生を聞くと、あまりにも重くて、悲しくて切なく感じました。ただ、私自身もともと優柔不断で、いろいろ迷ってできなかったりするので、みすゞの人生をもどかしく思う一方、共感できる部分もありました。岡目八目と言うばかりに、傍から見ればあのときこう決断していれば、などと思うでしょうが、そのとき、自分の人生の真っ只中を生きているみすゞにそんな客観的な視点はなくて当然でしょう。それでも、彼女がもっと違う生き方ができたなら、と願ってしまいます。
 私は、谷先生のお話を聞き終わった後、「だからこその詩なのかもしれない」と、それだけを思いました。あんなにも優しくて、柔らかい詩を書けるみすゞと、彼女の人生は切っても切れないものだったのだと思います。谷先生もおっしゃっていたように、「童謡」で包み込まなければ彼女の詩はもっと汚い…と言ったらおかしいかもしれないけれど、人の生をえぐるような、鋭い詩にならざるを得なかったかもしれません。
 また、同時に彼女は、自分の詩の世界に生きていたところがあるのかもしれないと思います。苦痛を、彼女の詩は柔らかく受け止めていたのだろうと思います。先生もおっしゃっていたように、彼女の抱える苦悩はあまりに深いものでしょう。それをそのまま抱えることはできなかったのかもしれません。私は、みすゞは詩を書くことで、自分の苦悩を柔らかい優しさのようなもので包み込んでいたのかと思います。
 私はみすゞを、彼女の詩からこのように考えました。私が感じるみすゞは私の中にしかいません。私だけの詩、言葉のメロディ。彼女の生涯を知ることで、より親しみをもってみすゞの詩を感じることができるような気がしました。

拙い文章で申し訳ありません。とても学ぶところの多い基礎実習でした。ありがとうございました。

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