レポートが長くなってしまったので、2回に亘っております。
その日、お稽古した詩は、全て第Ⅲ集より。『すかんぽ』『守唄』『雪に』
『雪に』
海にふる雪は、海になる。
街にふる雪は、泥になる。
山にふる雪は、雪でゐる。
空にまだゐる雪、
どォれがお好き。
タイトル、『雪』じゃなくて『雪に』なんだ…何でだろう?「どれが好きか、雪に聞いてるからじゃない」。などと、ワイワイしながら、個別に朗読練習。
Aさん。<泥>の音色が、ドロドロしてて、とってもGood!そして<海>、海の深さを感じさせるよみ。そう話したら、Aさん「私が雪なら、海になりたいから」とおっしゃる。「そっか。みすゞは、どの雪になりたいんだろうね?どの雪も<みんなちがってみんないい>と思ってはいなさそうだよね」と私。
Aさん「山にふる雪は、山になるんじゃなくて、雪のままなんだ…。山になってもよさそうなのにね」
私「ほんとだ。この表現、面白いね。みすゞは『淡雪』という詩で、<雪は面白そうに舞いながら、泥々なぬかるみになるために降ってくる>と謳っている。普通の価値観と違う人だから、みすゞは泥をバッチィものと思っていないかもしれないよね」と、またまたワイワイしつつ…
Bさん朗読。最初は、子どもになりきって。
私「そうだよね。素直な子ども心でよむとこうなるよね。子どもは子どもなりに<自然界>の詩ととるだろうし。大人は、人生を感じるかもしれない。生まれる場所は選べない。運命を受け入れて生きていく…みたいな。じゃあ、今度は、大人で朗読してみましょう」
二度目は、<雪でゐる>に意思を感じるよみでした。理由を尋ねたところ…
Bさん「私だったら、山にふる雪になって、雪でいたいから」
続いて、Cさん。2回とも<ゐる>を強調。想いは、Bさんと同じとのこと。でも一度めは、強く。二度目は、優しかった。そうなのです、強調の仕方にも色々なやり方があるのです。
この日は、会報の発送作業があったので、『アローン』事務局も参加。なんと、彼は♪歌った。そう、『雪に』は、「空のかあさま」のラストシーンで、つぶやくように歌って、みすゞは空に昇っていくのです。そのメロディーで、彼は歌いました。
塾の後、私はあらためて一人で『雪に』と向き合った。そして、この詩を、みすゞの生涯を描いた一人芝居のラストに選んだ師匠への尊敬を新たにしました。「空のかあさま」は、師・宮武侚史先生が書いて下さった作品だ。ラストシーンでみすゞは、遺して逝く幼い一人娘に、伝えきれない想いを、この詩に託して静かに歌い昇天する。
みすゞは、才能を西條八十に絶賛されながら、詩人として生きることを選べず、自死を遂げた。一人娘のふーちゃんに、この詩を通して「あなたは、どう生きる?」と問いかけているのだろうか…。はたまた雪を自分に見立てて、「今度生まれてくる時は…」と、来世を想っているのだろうか…。
そういえば、横浜の小劇場で、月1のロングラン公演をしていた初演時。初代の音楽担当者がエンディングに使った曲は、「ル・プルミ・パ」というシャンソンだった。私はフランス語などわからないけれど、メロディーに<再生への祈り>を感じた。そう話したら、音楽担当者がぶっ飛んでいた。「ル・プルミ・パ」というのは、<最初の一歩>という意味だそうな。
この時、私の描くみすゞのイメージが決まったのかもしれない。
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