2012年6月19日火曜日

2012年6月11日 みすゞ塾レポート

塾生は、塾の翌日にはレポートを寄せてくれていたのだが、「空のかあさま」小川町公演でバタバタしており、upできませんでした。ごめんなさい。おかげさまで、土曜日の公演は無事終わりました。皆さん、ありがとうございました!公演のレポートも書きたいところですが、FBの方に、事務局が写真upしてくれたり、いろいろコメントいただいたりしているので、よかったらそちらを見て下さいね*smile*

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今日の朗読は『美しい町』より、「にわとり」「夕顔」「箱のお家」「栗」「さかむけ」の5編。塾生は、その中から3編を選んで朗読をする。選ぶ視点も人それぞれである。塾生は4人参加。今日は、3人が選んだ「夕顔」を取り上げて報告したい。


「夕顔」
お空の星が
夕顔に、
さびしかないの、と
ききました。

お乳のいろの
夕顔は、
さびしかないわ、と
いいました。

お空の星は
それっきり、
すましてキラキラ
ひかります。

さびしくなった
夕顔は、
だんだん下を
むきました。


この詩は、西條八十主宰『愛誦』の昭和4年5月号に掲載された。雑誌では、最後の2行が「だんだんしぼんで/ゆきました。」となっている。そして、これが投稿し掲載された最後のものであるという。

3人の読みは、夕顔にみすゞの思いを託し、さみしく読み上げたもの。お空の星の気持ちがみすゞに近いものであるからとつきはなしたように読み上げたもの。思いはあってもそれは託さずたんたんと読み上げたもの。3様の読みになった。

みすゞが自死する1年前に掲載された詩であるが、創ったのはいつなのだろう。夫に創作を止めさせられる切なさつらさを夕顔の姿と重ねたのだろうか。

それとも、みすゞの詩人としてのプライドは、すましてキラキラひかるお星さまなのかもしれない。その解釈を塾長は、お星さまの方をみすゞと捉える考え方は初めてとしきりにおもしろがる。たしかにみすゞは芸術家でその才能は枠にはまるものではない。

さびしい夕顔をみすゞと結びつけたくなるのは、思い込み過ぎるためだろう。自然界の営みを人の思いや生き方と結びつけることはできる。そのように創作することもあるだろう。いろいろみすゞに思いを寄せながら、一編の詩を語り、朗読できるのはおもしろいことだと再認識した「夕顔」であった。

ちなみに私は、この詩を選ばなかった。下をむく夕顔とみすゞを結び付けたくなかったから。みんながさびしい詩だというと、そうじゃないとへそを曲げる性格が出てきたから。(←谷・そこが面白いんですってば!)

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