2013年7月21日日曜日

生協の機関紙「あすーる」9月号に載りま~す!!!

「さいたま彩の人」というコーナーです。

一昨日、取材を受けました。ちょうど川越の公民館でやっている朗読サークル「あろーん・しあたー高階」の日だったので、サークルも見学していかれました。

取材して下さった広報の方とは、実は古い付き合いでして…

2001年、私が上演の場を求めていることを朝日新聞が記事にして下さり、上演活動が始まりました。

埼玉での金子みすゞ一人芝居「空のかあさま」初公演は、北浦和図書館の図書館まつり。その時、協力して下さった地域のPTAが、生協の広報女史だったんです。

以来、池袋の明日館でやった初めての東京公演に、お嬢さんと一緒に来て下さったり…

戦争展で沖縄戦の朗読をした時も、いらして下さったし…

6月1日の『センセイの鞄』にもいらして下さいました。

かれこれ12年…。取材をする側と、される側となる日がくるなんて、思ってもみませんでした。話が弾んだのなんのって、楽しかったなぁ!

どんな記事になるんだろう…話が多岐に亘り過ぎて、まとめるの大変だろうなぁ…でも、とっても楽しみです☆

2013年7月16日火曜日

今年も、福島で「金子みすゞ」の朗読会をいたしますですヨ!

9月6日(金)17:00~か17:30~かは、相談中です。

場所は、福島市の「ゆず沢の茶屋」離れの工房
 http://www2.ocn.ne.jp/~yuzusawa/ 

ゆず定食のお食事付きで、2,000円の予定

朗読会の後、場所を移して会食。私も、お席を回ります。

ハァ~~~!!!今やっと、構成台本ができあがりました!!!

今回は…
前半、テーマ性のある朗読
後半、本物の虫の音の中で「こおろぎ」の詩を読むような、ゆずさんの工房ならではの朗読

前半は、「悪太郎の唄」という詩をモチーフに、みすゞの分身のような「悪太郎クン」を主人公にした物語を詩で綴る「悪太郎劇場」。

さ、これから使う音楽をトラックダウンして、詩の朗読原稿を手書きするぞ~~~!!!

もうひとふんばり、がんばっぺ!

いやぁ、でも、構成台本脱稿したので、肩の荷下りましたぁ~~~*smile*

2013年7月9日火曜日

「金子みすゞの生涯」@淑徳小学校

子どもって、いいなぁ…!!!

昨日、東京の淑徳小学校で、金子みすゞの朗読とお話をしてきました。

淑徳は仏教系の学校なので、盂蘭盆会というお盆の行事のアトラクションに呼んでいただきまして。

この一年で、亡くなったお身内の方の戒名を読み上げ、1年生から6年生まで全員で般若真教を朗誦するセレモニーには感動を覚えました。

その後、低学年と高学年に分けて2回、朗読とお話をしたのですが。子どもたち、セレモニーでのお行儀の良さとは打って変わって、元気なこと元気なこと!!!

箱に小豆を入れた装置で波音の効果音を、「大漁」の朗読のバックにやってもらったのですが、「やりたい」「やりたい」と手が上がって…やらせてあげられなかった子に悪いなぁと思うほどでした。

かたや「花のたましひ」という、散った花びらは、仏さまの花園でもう一度生まれるんだよ…という詩では、し~んと聞いてくれて。

…「みすゞは三歳の時にお父さんが亡くなってしまったから寂しくて、死んだらそれで終わりではなくて、魂は永遠だからまた会える。そう思って詩を作ったのかもしれないね」。

こういうお話を小学生でも聞き分けられるのは、仏教的な下地がやはり大きいのかもしれません。

今回呼んで下さった顧問の唐木先生には、「あえて仏教とからめたお話をしなくてもいいですよ」と言われていたので、この詩を入れようかどうしようかずいぶん迷ったのですが、やっぱり入れて良かったです。

子どもって、大人が考えているよりう~んと<おとな>なんですよね。

唐木先生は、以前おられた淑徳幼児教育専門学校にも3度も呼んで下さり、小学校に異動されたらまた呼んで下さり…本当にありがたいです。

私も、子どもたちからたくさん元気をもらい、とても楽しかったです。

2013年7月4日木曜日

2013年6月24日みすゞ塾報告

詩の解釈は、人によってこんなにも違うのか!!!という発見の連続です。今回、塾生が寄せてくれた詩の感想も、ずいぶん私とは違います。そこが、面白くてしょうがないんですよね。みんなちがってみんないい☆

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この日のお稽古は、「蛍のころ」「口真似」「花の名まえ」「田舎の絵」「お菓子買い」(『美しい町』JURA出版局より)の5編を取り上げた。都合により遅刻&早退したので、朗読練習のレポートは割愛。<さみしさ>がテーマの詩、3編についての感想を今回の報告としたい。

「口真似」「花の名まえ」「田舎の絵」の3編は、さみしさ、孤独をテーマにしている。

「口真似」は―父さんのない子の唄―という副題をつけ、「お父ちゃん。」とそっと口真似している。早くに父を亡くしたみすゞは、父恋しと思う気持ちはあっても、それを心の中にしまっておく子どもではなかったろうか。祖母や兄がいて、遠くに母がいて、結びつきは深く、みすゞは満たされていたと思う。でも、よそと比較してしまうと何かが欠けていると思うのは、子どもなら当たり前である。だから、「お父ちゃん。」とそっと口真似して、「なんだか誰かにはずかしい。」と首をすくめるのである。

「花の名まえ」には、「さみしいの」という言葉が2回使われる。場面は(御本のなか)→(町、海、港)→(花屋のかご)→(町にいる母さん)→(今、私)→(田舎の野)と連が展開するが、この回路はみすゞ独特のもので、読む者が想像するのみである。連想ゲームのように次々と思い描くことを歌っているのか、それとも最後の連のひろい田舎の野に咲く花をみんなお友だちにしたいという思いを熱烈に歌っているのか、私は、前者かなと思ってしまう。

「田舎の絵」は、一人で遊んでいるみすゞを思う。みすゞは、一人遊びが得意だ。絵の中にだって入っていく。「さびしいときは、お気に入りの絵の中に入っていく」とうたっているけれど、ちっともさびしかないのです。

みすゞは、短い生涯でたくさんの詩を創った。自分を見守る家族や友人がいても、自分が作っていく家族がいても、孤独感はあっただろう。その深さは、計り知れないが、詩を読んでいる私は、深刻にとらえていない。私自身が、流れに身をまかせる生き方をしたいと思っているからかもしれない。

 

引っ越し:追記

谷英美サイト は、この旧ブログへお引越し予定。サイトは閉鎖予定です