2013年7月4日木曜日

2013年6月24日みすゞ塾報告

詩の解釈は、人によってこんなにも違うのか!!!という発見の連続です。今回、塾生が寄せてくれた詩の感想も、ずいぶん私とは違います。そこが、面白くてしょうがないんですよね。みんなちがってみんないい☆

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この日のお稽古は、「蛍のころ」「口真似」「花の名まえ」「田舎の絵」「お菓子買い」(『美しい町』JURA出版局より)の5編を取り上げた。都合により遅刻&早退したので、朗読練習のレポートは割愛。<さみしさ>がテーマの詩、3編についての感想を今回の報告としたい。

「口真似」「花の名まえ」「田舎の絵」の3編は、さみしさ、孤独をテーマにしている。

「口真似」は―父さんのない子の唄―という副題をつけ、「お父ちゃん。」とそっと口真似している。早くに父を亡くしたみすゞは、父恋しと思う気持ちはあっても、それを心の中にしまっておく子どもではなかったろうか。祖母や兄がいて、遠くに母がいて、結びつきは深く、みすゞは満たされていたと思う。でも、よそと比較してしまうと何かが欠けていると思うのは、子どもなら当たり前である。だから、「お父ちゃん。」とそっと口真似して、「なんだか誰かにはずかしい。」と首をすくめるのである。

「花の名まえ」には、「さみしいの」という言葉が2回使われる。場面は(御本のなか)→(町、海、港)→(花屋のかご)→(町にいる母さん)→(今、私)→(田舎の野)と連が展開するが、この回路はみすゞ独特のもので、読む者が想像するのみである。連想ゲームのように次々と思い描くことを歌っているのか、それとも最後の連のひろい田舎の野に咲く花をみんなお友だちにしたいという思いを熱烈に歌っているのか、私は、前者かなと思ってしまう。

「田舎の絵」は、一人で遊んでいるみすゞを思う。みすゞは、一人遊びが得意だ。絵の中にだって入っていく。「さびしいときは、お気に入りの絵の中に入っていく」とうたっているけれど、ちっともさびしかないのです。

みすゞは、短い生涯でたくさんの詩を創った。自分を見守る家族や友人がいても、自分が作っていく家族がいても、孤独感はあっただろう。その深さは、計り知れないが、詩を読んでいる私は、深刻にとらえていない。私自身が、流れに身をまかせる生き方をしたいと思っているからかもしれない。

 

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