カンボジア、陸前高田、シリアの写真を投影しながらの「伝えることをあきらめない」というお話、素晴らしかったです☆
「写真に何ができるのか」と…自分の無力さに揺れている存在の仕方に、もの凄く共感しました。
奈津紀さんの写真も、私の舞台も、お祈りのようなものなのかもしれません。
祈りは、無力ではないと信じたいです。
「想っている」と、紛争地、被災地に伝え続け…紛争地、被災地を伝え続ける。
たくさんの人に伝えられる役割は、誰でも出来ることではない。
私は、奈津紀さんほどたくさんの人には伝えられないけれど、それでも一般の方よりは、機会を持っている。
被災地には「忘れてないよ」と、被災地を「忘れないで」と、私も伝え続けてゆこうと思う。
【番外編~縁の物語~】・・・・・・・・・・・・
奈津紀さんのお義父さま・佐藤敏通先生は、陸前高田市にあった県立高田病院の副院長だった。
佐藤先生は震災前、陸前高田市民会館で上演させていただいた金子みすゞを描いた一人芝居『空のかあさま』を、奥様とご覧下さっていた。
震災では、電源を喪失した病院で、津波が首まで来るなか、患者の人工呼吸をしたそうだ。
助けられなかった患者がたくさんいたこと、そして奥様を亡くしたことの辛さに、栃木県の那須に移り住まれた。
そして何と、那須のギャラリーで朗読公演をさせていただいた時に、佐藤先生とまさかの再会!!!
先生のご長男が奈津紀さんとご結婚。
その後、佐藤先生は亡くなってしまったが…
そんなご縁の中で昨年、陸前高田のうごく七夕〈川原祭組〉の応援で、奈津紀さんご夫妻に初めてお目にかかった。
川越講演での奈津紀さんとの再会は、それ以来だから1年3ヶ月ぶり。
講演では、お義父さまの震災当時のご様子もたくさん聞くことができました。
佐藤先生のお優しい笑顔が思い出されて、胸がいっぱいになりました。
切なくも、嬉しい、奈津紀さんとの再会でした。
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