2018年8月19日日曜日

金子みすゞ考by谷英美 2018年8月19日(日)

これまで、第Ⅲ集は、涙なくして読めずにきた。みすゞの透き通った悲しみが胸にこぼれてきて…。

しかし第Ⅰ・Ⅱ集は、楽しい詩も多く、気楽に読めるなぁと思ってきた。同時に、「雀のかあさん」「忘れた唄」「天人」「親なし鴨」「お乳の川」「幻燈」「赤いお舟」「ながい夢」等の重い詩が、なぜⅠ集に集中しているのだろうと、ぼんやり考えてもいた。

昨夜、塾のテキストを作っていて、ふいに分かった。二十歳で母と弟のいる大都会、下関の本屋・上山文英堂に居候することになったみすゞの居場所の無さが雪崩れ込んできた。

上記のタイトルだけで詩がわかる人はそうはいないだろうが、子雀が人間の子どもにつかまってしまっても、お屋根で鳴かずに見ている雀のかあさんをはじめ…母を亡き者としている「忘れた唄」「天人」。親のない子鴨の寂しさを謳った「親なし鴨」、天の川を見上げて涙を堪える「お乳の川」、思い出せない人の面影を追う「幻燈」、亡くなった父が迎えに来てくれるのを待っている「赤いお舟」、二歳の頃に帰りたいと謳う「ながい夢」…。

上山の後妻に入ったミチは、みすゞにとって母であっても、母ではなかったのだ。文英堂での同居が、こんなにも寂しかったのかと、みすゞの辛さが沁みてきて、私は泣いた。

「小さなうたがひ」「睫毛の虹」「私のお里」「お家のないお魚」では、自分はもらい子ではと謳い、ここではないどこかに私の本当のお里があると想像し、お家のないお魚は可哀相だなぁと夜の海を想っているが、そのお魚はまさにみすゞ自身なのだ。

全集読破、二巡目。Ⅰ集も半ばを過ぎて、やっと気付く事がまだあるなんて…!!!どこまで行っても勉強です。これから先、またどんな発見に出会えるんだろう?詩の言の葉の森での探検は続く。

明日は、地元・川越の蓮馨寺で続いている「みすゞ塾」です。
 http://www2.u-netsurf.ne.jp/~apro/html/lecture_regular/misuzu_juku.html 

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