塾生からのレポート、UPします。みすゞを偲び、また陸前高田の「みすゞ亭」を想い、道明寺さんをいただきました…と書ければカッコいいのだが、わいわいと食べてしまいました。陸前高田に移り住んだ元塾生が、みすゞの詩を読み合う会「みすゞ亭」を2年前に始めてくれた。みすゞの命日近くの稽古で、道明寺さんを食べる慣わしも引き継いでいるという。ただし向こうは、亭の主である元塾生の手作り!去年の亭は、まさに3月10日、みすゞの命日に当たっていた=震災の前の日ということ。一日ずれていたら、みんな津波に飲まれてしまっていた。生死を分ける何か…運命のようなものは、たしかにあるのかもしれない。
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3月10日はみすゞの命日。塾長は、彼女を偲んで3月の塾には道明寺桜餅をごちそうしてくださる。今回もみんなでおいしくいただいた。1930年に26歳で亡くなってから82年。みすゞは、自死する前夜道明寺を食べたという。どんな思いで食べたのか、1人で撮った最後の写真から想像するのだけれど、これが最後などとセンチメンタルにはなっていなかったと思う。それにしても道明寺の桜の葉の香りとちょうどいい塩味、口の中でとろけるさらし餡のミックスは、すばらしい。道明寺粉を調べたら、水に浸し蒸したもち米を粗めにひいたものとあった。長命寺の上新粉などを使った桜餅との違いがよくわかった。
本日のメインの朗読は、「雛まつり」「宵節句」「赤い靴」の3編。
「雛まつり」 Ⅰ集 「美しい町」より
雛のお節句来たけれど、
私はなんにも持たないの。
となりの雛はうつくしい、
けれどもあれはひとのもの。
私はちひさなお人形と、
ふたりでお菱をたべませう。
みすゞは、「なんにも持たない」ことにひがんでもいないし、「ひとのもの」をうらやましがってもいない。「ちひさなお人形」であっても十分満足しているし、自分の世界を持っている。字面だけ追えば、とてもさみしい雛まつりのようだけど、彼女にとってはそんなことはない。など読む前にみすゞの気持ちをあれこれ話し合う。
さらに、私が「母には立派な雛人形があったのに、私のはなかった。小さい頃ひな壇が私のために飾られても、自分のものとは思っていなかった。」と告げたら、「昔は、誰もが雛人形を持てるような時代じゃなかった。」「子どものために手作りの雛を作った。」など雛談義が始まる。
塾生の読みは、みすゞの気持ちに寄り添った明るいさわやかなもの、持たないことに寂しさをもったもの、雛人形の思い出がにじむもの、それぞれの個性が表れた。
どんな詩を読むにしても、塾生は、個性や人柄がにじみ出る読みや、演技やなりきりで読むものといろいろ楽しい。いつも笑いが沸き起こる。たくさん笑って、たくさんおしゃべりして、癒しの2時間なのである。
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