金子みすゞのお父さんは、明治39年、みすゞが3歳になる頃に亡くなった。中国(当時は、清といった)に出した本屋を任され単赴任していたが、反日感情の高まりの中、清国の馬賊に殺された…ということになっている。埋もれていたみすゞの詩を世に出した功労者、矢崎節夫氏の「金子みすゞの生涯」(JULA出版)という本には、そう書かれている。
みすゞの故郷、仙崎には、非業の死を遂げた者は代々の家の墓には入れず、無縁墓に入れるという慣わしがある。なのでみすゞのお父さんは、無縁墓に入っている。自死したみすゞもまた、同じ墓に眠っている。
しかし、今野勉氏の「金子みすゞふたたび」(小学館)に、実は病死だったことがわかる、当時の満州日報の記事を見つけたとある。この発見は、読売新聞でも報道された。そして驚くべきことに、みすゞのお母さんが、実は病死だということを知っていたことがわかったと…。しかし、それなのになぜ、わざわざ自分の夫を無縁墓に入れたのかは、わからないそうだ。
家族にとって、殺されたのか病死なのか、はたまた無縁墓かそうでないかは大きな違いだろう。お母さんの謎の行動と合わせて考えた時、父の死が、みすゞの人生と作品世界に与えた影響ははかりしれない。
でも矢崎氏は、一昨年のイベントで、この発見を否定していた。「みすゞトーク」という、ゲストとのトークイベントで。「新発見と騒いでいる人がいるようですが、死んでいることに変わりないわけだから、どんな死に方かは関係ない」と。
関係ないわけないでしょう(笑)!こういう方の語る金子みすゞの世界を、多くの人が有り難がって聞いている。その欺瞞に気付く人も増えてきた。昨年暮れの週間文春で叩かれたのは、その兆しだろう。
10年前は、矢崎氏への疑問を口にしても、誰にも相手にされなかった。下関在住の金子みすゞ研究家、木原豊美先生を除いては。しかし、この10年で山が動いた。10年後には、何が本当で誰が本物なのかわかる時代がくる。私なりに、ガンバってゆこうと思う。
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