2012年5月28日月曜日

2012年5月17日(木) シダックスレポート

シダックスでの朗読タイムでは今、井上ひさしがヒロシマを描いた名作『父と暮せば』をやっている。台詞を声に出して読む練習もしましょうという試み。2人(ぽっち)の受講者が演劇経験者なので、ノリノリで楽しんでいる。

…といっても、今回でこの作品は終わり。父と娘、登場人物は2人。一通り稽古した後、キャストを入れ替えた。なので計2回、通したことになる。2人とも、8ヶ月かけて、どちらの役もやったわけだ。

稽古とはいえ楽日を終えて、娘の役をやっていたEさんの一言。「井上ひさしって、どうしてこんなことまでわかるんだろう…。今日の範囲はまた、ものすごく自分と重なるものがあって、入り込んでしまったというか、あらためて自分のことを気付かされたというか…」。

『父と暮せば』は、原爆の火の海に父を置き去りにして、自分だけ助かった娘が恋をするところから始まる。親を見殺しにするような人間が幸せになっていいはずがないと、あきらめようとする娘。その恋を応援しようと、父は幽霊となって現れ…というお芝居。

今日お稽古したラストシーンで、父は娘を叱る。お前は病気なんだと。生き残ってしまって、亡くなった友達に申し訳ない、生きているのが後ろめたいと叫ぶのが病状で、病名を<うしろめとうて申し訳ない病>というんだと。

父との対決を通して娘は、蓋をしていた自分の本音とも対決していく。本当に申し訳ないと思っていたのは、置き去りにした父に対してなのだと。

このシーンがEさんには、お家で革命(?)を起こしている長男によって、蓋をしていた自分の姿やビョーキと向き合っている今の自分と重なったそうだ。

ハードボイルドな自己開示がなされるのは、自分開放講座としては成功しているということなのだろうか。私は大きな人間でもなければ優しくもないし、ましてカウンセラーでもない。でも、自己開示され易い体質なのかもしれない。

戸惑いながら、私は学んできた。人間には、自分で自分を癒す力、自己回復力があると。それは私自身、俳優として歩んできたプロセスについても同じだ。表現行為を通して、ビョーキを治している真っ最中だ。

自分の内側をほじくり返し、耕し、雑草や害虫(?)とも共存しながら、日照りや多雨に負けぬよう、なんとか生きている。受講者ともども、ちっちゃくていい、それぞれの花をいつか咲かせたい*smile*

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