2012年7月10日火曜日

モノ申した後の感想

皆さんは、昨日の「金子みすゞ物語」ご覧になりましたか?私は下北沢のスズナリで芝居を観て帰ってきてから、録画しておいたのを見ました。疲れて眠かったのだが、ど~しても気になって(笑)。

上戸彩ちゃんは美しい、演技も上手。だがやっぱり、描き方がイヤだった。恋する女の顔で弟に接していた。たとえ擬似恋愛的感情があったとしても、あんなに生な女の媚びる目で弟を見るのは、イヤだ。みすゞを、そんな女として描かれるのは、私は悲しい。

魔性の女が「みんなちがってみんないい」と発すると、自分への免罪符のようになってしまう。違うだろう、これは、そういう詩じゃないはずだ。

「事実ではなくフィクションです」とのエクスキューズをわざわざ入れるのも、クレームへの予防線のようで…。そう断ったとしても、大衆は、事実としてとる。TVとは、そういうメディアだ。

夫を一方的に悪者にする分量は、これまでに比べれば多少減ったようには思う。夫がみすゞに詩作を禁じたのは、昭和3年の夏ごろとされている。が、一日中見張られているわけではない。書こうと思えば書けたわけだ。実際、昭和4年の5月号まで、みすゞは雑誌への投稿を続けている。皆さんはこれを、どう見るだろうか。本当に夫は禁止したのだろうか。

また、命を絶つ前夜。ふーちゃんの寝顔を見て、「可愛い顔して寝ちょるね」と言うシーン。以前のドラマでも、映画でも、他の方のなさる芝居でも、みんなそうなっている。しかし、この場にいた人は、上山の小父さんも、ミチさんも、取材のはるか前に亡くなっているのだ。幼かったふーちゃんが覚えているはずもない。まして寝ていたのだから。

こうしてまた、みすゞの偶像が一人歩きしていく。なんだかなぁ…。ま、コツコツ頑張りますワ。

上山の小父さん役の西郷輝彦さんは、明治の男の一徹な空気を醸していて素敵でした!

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