いつもレポートを寄せてくれる塾生が、お休み続きだったので、久々でございます。この塾生の視点には、「へ~!」と思わされ、とても楽しいです。
今回の中で唯一、<さびしい>という言葉が使われていない「空の色」にこそ、秘めたさびしさを感じたそうだ。
なるほど…!たしかに、みすゞの<さびしさ>には突き抜けたようなところがある。ベトベトした湿度が無いのだ。
そう思ってみるとこの「空の色」、透明感のある青に射抜かれるような感じがしてきたりもする。
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『美しい町・上』より「色紙」「夜なかの風」「昼の電燈」「忘れた唄」「空の色」
この5編を一読した時、さびしいの文字がやたらに目についた。
「色紙」きょうはさみしい曇り空、/あんまり淋しいくもり空。
「夜なかの風」夜なかの風はいたずらよ/ひとり通ればさびしいな。
「昼の電燈」ぽっつり電灯は/さびしかろ。(中略)昼の電燈は/さびしかろ。
「忘れた唄」きょうも、さみしく草にいて、/きょうも海みておもいます。
「さみしい」「さびしい」「淋しい」と書き方はいろいろ。
みすゞの感じるさびしさはどんなものなのだろう。孤独、ひとりぼっちのさびしさ、母恋しさのさびしさ、いろいろな思いがある。
みすゞにはそのさびしさを楽しんでいるようなところもある。ひとりぼっちを決して嘆いてはいないのだ。
人恋しさはどうだろう。読み手が感情移入をしてしまうから、本当の所はわからないけど、みすゞの気持で想像するしかない。私は、みすゞは父が亡くなり、母がいないことを受け入れていたのだと思う。そのことと父母がそばにいないことの葛藤や願いが詩になっているのだと思う。
「空の色」
海は、海は、なぜ青い。
それはお空が映るから。
空のくもっているときは、
海もくもってみえるもの。
夕焼、夕焼、なぜあかい。
それは夕日があかいから。
だけどお昼のお日さまは、
青かないのに、なぜ青い。
空は、空は、なぜ青い。
この詩には、さびしいという言葉は出てこない。みすゞが疑問に思うこと、楽しい考え事をおもしろがっているような詩である。無邪気に明るく読めば、ほんとに楽しい詩である。
私は、今回のさびしさシリーズで、この詩のうらにかくれているかもしれないみすゞのさびしさ、センチメンタルな気持ちを込めて読んでみた。そうすると、子どもらしい単純な疑問を読んだ詩が、青い海や空がさびしさを秘めた詩に思えてくる。
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