いつも塾報告を書いてくれている塾生のお母様がシングルマザーになられたいきさつを、漏れ承っている。
「谷さんは妄想家だから、ドラマチックに脚色し過ぎ!」と言われているが(笑)。
そのお母様にお会いする機会を得た時は、本当に感激した。6~7年前のお花見野外学習に、塾生がお母様を連れてこられたのだ!!!
壮絶なドラマなど無かったかのような穏やかな横顔に、私の妄想が更に膨らんだのは言うまでもない。
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塾ではいつも朗読練習の前に、「みすゞ豆知識」の時間がある。塾長のレポートをもとに、金子みすゞのあれこれを学ぶひととき。そのレポート番号が118番。思えば長いことやっていて、そこにはみすゞ塾の歴史がある。
今は『金子みすゞふたたび』(今野勉 小学館)をベースに、学習している。この日は「父の詩 その4」として、みすゞが父を詠んだ詩を考察する4回目。
今回は「朝蜘蛛」を取り上げた。みすゞは、「お父さんは死んでなどいない。生きて遠くに住んでいて、赤い馬車で私を迎えにきてくれる」と詠んでいる。その父の乗り物は赤である。
前回とりあげた「赤いお舟」でも、父の乗り物は赤だった。お父さんは赤いお舟で、黄泉の世界から迎えに来てくれるという詩だった。
塾長は、「赤」という色に特別な意味があるのではと投げかけていた。私もみすゞの故郷は仏教が盛んだったという環境や、みすゞの生い立ち、そして当時の人たちの死生観を想像して納得した。
ところで私は個人的に、「赤いお舟」という言葉が気になって仕方がなかった。というのも…
私の手元に、昭和32年に撮った、母と共に6歳の私が写っている小さな写真がある。シングルマザーの母は、その写真の裏にある詩を書いていた。
「お母さま泣かずにねんね
致しませう
赤いおふねで父さまの
かへるあしたをたのしみに」
という詩だ。ここでも父の乗り物は赤いお舟である。それは母の創作なのか、それとも誰かの詩なのか…。気になって、「赤いお舟」をインターネットで検索をしてみた。
みすゞの「赤いお舟」しかヒットしなかったのだが、執念でで探し続けたら、やっと見つかった!!!
作詞・清水かつら、作曲・弘田龍太郎の「あした」という童謡である。初出は雑誌『少女号』(小学新報社)大正9年(1920年)6月1日発行。詩と一緒に楽譜も掲載されていた。
作詞した清水かつらは、1898年(明治31年)東京深川うまれ。4歳で生母と父は離縁。12歳で継母を迎え、本郷元町に住み、父と継母に育てられた。「叱られて」や「靴がなる」などの童謡で知られる男性詩人である。
私の母は、幼い私の父恋しの気持ちと離縁された夫への思いを込めてこれを書いたのかなぁ…。
この「あした」という童謡について調べた資料をみなさんに配ったら、Aさんが「この歌知ってる」と歌ってくれた。なんかとてもなつかしく感じた。
1903年(明治36年)生まれのみすゞは17歳頃に、この詩が掲載された『少女号』という雑誌を見ていたかもしてない。もしかしたら歌っていたかもしれないと妄想するとわくわくする。
…そんな考え事に耽っていて、この日のお稽古「魚売りの小母さんに」「れんげ」「燕の母さん」「木の実と子供」「手品師」(『美しい町』JURA出版局より)は、心ここにあらずの私でした。