川越のお寺でやっている小さな朗読教室〈みすゞ塾〉、詳細はこちら↓
http://www2.u-netsurf.ne.jp/~apro/html/lecture_regular/misuzu_juku.html
毎回、全集を5編ずつ朗読練習しながら読み進めています。
今回は、この詩について。
『げんげの葉の唄』
花は摘まれて
どこへゆく。
ここには青い空があり、
うたふ雲雀があるけれど、
あのたのしげなたびびとの、
風のゆくてが
おもはれる。
花のつけ根をさぐってる、
あの愛らしい手のなかに、
私を摘む手は
ないかしら。
…JULA出版『空のかあさま』より
これ〈葉〉の唄なんですよね…〈葉っぱさん〉は、たのしげなたびびとに摘まれていった〈お花〉のことを想っています。
〈風のゆくてがおもはれる〉…どうも〈旅人とお花の運命やいかに!〉という感じで、〈葉っぱさん〉は花が案じられてならない様子です。
〈私を摘む手はないかしら〉…〈葉っぱさん〉、自分も摘んでほしいと思ってるわけですよね。
さて、それはなぜでしょう?塾生から、いろんな声があがりました。
1、花にばっかり注目しないで、自分も摘んでほしいと〈葉っぱ〉は思っている
2、風にあたると花は傷んでしまうから、摘まれて自分も一緒に行って、花を守ってあげたい
3、たびびとは、どうせ飽きればお花のことを捨てるのだから
なんだか、流行り歌の文句のようになってきましたが(笑)、みんなの結論で、「これは、葉っぱさんの愛の唄なんだ!」ということになりました。
「だから、げんげの花の唄じゃなくて、葉の唄なんだね」
「なるほど、みすゞの愛し方を描いているのか…」
「そういうえば、ちょっとあまのじゃくなみすゞらしいよね」
いい年をした大人が、雁首揃えて、げんげの葉っぱとお花の気持ちについて熱く語り合う光景なんて、そうそうないです。
私は、楽しいなぁ、なんて素敵で贅沢な時間なんだろうと思うのです。
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