先週土曜日、人形劇団むすび座の『父と暮せば』を、埼玉県の富士見市民文化会館キラリ☆ふじみで観た。
むすび座さんには何の恨みもないけれど、観客を育てられなかった演劇人の一人として、今さらながら解説させていただく。
まず、人形の扱いが酷い。
人形遣いが2名、語り手が2名、そこまでは判る。
しかし開始早々、父親役の語り手が調子に乗って演技を始め、《人形遣いが不貞腐れて、人形をセット上に投げ出す》シーンがあった。
これが何を意味するか、聡明な読者はすでにお解かりだろう。
観客は、人形を《おとったん》と思って観ているのだ。
俳優が《人形をセット上に投げ出す》という行為は、人形は《おとったん》ではなく、ただの人形だとバラすことになる。
この《人形劇は嘘》だと暴露する自爆行為だ!!!
嘘を誠にする演劇のマジックを、創る側が自ら放棄してどうするのだ?!!!
そんなコ芝居で、演出家は一体何を表出したかったのか、全く理解できない。
二つめは、この作品の肝となる第3場が酷い。
この景は、この舞台の出来の分水嶺だ。
主人公の美津江は、原爆で親友を亡くしている。
その親友の母親に「何で(うちの子が死んで)あんたが生きとるん」と言われるシーン。
幼い時に母親を亡くし、親友の母を実の母のように慕っていた美津江は、ショックで感情が死に耐える(だろう)。
こういう時の人間は、涙も出ず、無表情だ。
それでいてMAXのショックをどうしたら表わせるのか…私は、この役をやりながら毎度悶絶している。
映像演技でいえば、ドUP的リアルでいて、1000人収容の大ホールでも通用する芝居というのは、実は根っ子は一緒だ。
一緒だけど、お客さまに伝わるように演じるのは、とても難しいことなのだ。
このシーンを、むすび座さんは、俳優陣が装置内を四角く行進しながら輪唱していた。
「何であんたが生きとるん」「何であんたが生きとるん」「何であんたが生きとるん」「何であんたが生きとるん」…
この処理はナイでしょう!!!
役者が下手過ぎて、こうするより他なかったのだろうか。
まさか、美津江のショックを表出するため、ベストな演出と考えたわけではないと信じたい。
三つめは、第3場のラスト。
この景の冒頭では、ユーモラスだったおとったんの言葉遊び歌が一転。
降り止まぬ雨に天を睨み据え「雨、雨、止まんかい、おまいのとったんごくどうもん、おまいのおかやんぶしょうもん」で、父親の咽び泣きを、どう伝えるか…
男親ゆえ、娘の恋の応援の仕方を勘違いしてしまう切なさ…
亡き妻に、「何で俺を遺して先に死んでしまったんだ」「俺は、娘のために、どうしたらいい?」泣きたい気持ちで天を睨む切なさを、どうしたら声で表現できるのか…
私は毎度、相手役に、悶絶しながら演技指導している。
そのシーンを、あっさり俳優4人で《合唱》処理はナイでしょう!!!
理解できない演出処理で、80分で終わる芝居を、2時間も椅子に縛り付けられて地獄でした。
この舞台をよしとする人たちに、異議を唱えたい私です。