皆さんはもし、人形を土に埋めるとしたら、抵抗を感じませんか?
いくら人形とはいえ、生き埋めみたいで…
金子みすゞに、人形を埋める詩があって、月曜日の〈みすゞ塾〉では喧々諤々でした。
http://www2.u-netsurf.ne.jp/~apro/html/lecture_regular/misuzu_juku.html
『人形の木』
いつだか埋めた種からは、
ちひさい桃の木生えました。
たつた一つの人形だけど、
お庭のすみに埋めませう。
さみしくつてもがまんして、
ちひさい二葉を待ちませう。
ちひさいその芽をそだてたら、
三年さきで花が咲き、
秋にやかはいい人形が生つて(なって)、
町ぢゆうの子供にひとつづつ、
木からもいではわけてやる、
人形の木が生える(はえる)から。
(金子みすゞ全集『さみしい王女』JULA出版より)
私は、ちょっと不気味なモノを感じ〈狂気〉というカテゴリーに分類していたのですが、塾生からは…
A:みんなにあげるために人形を増やすという優しい気持ちなんだよ。
M:私はこの詩、好きなの。
谷:どのあたりが?
M:どのあたりって…全部。
…なるほど、みすゞは死は命の〈終わり〉ではないという死生観を持っています。
命は繋がって循環しているという独特の世界。
そう考えれば理解はできるのだが、どうも心からの納得とは違うんだな…
みすゞ特有の自己犠牲の精神…?
みんなのために、大事な人形だけど、我慢して埋めちゃう…
うう~~~わからない!!!
でも、このわからなさの中を漂うのって、好き(笑)。
何年越しの宿題が、岩が割れるようにわかる瞬間があったり、わからないまままた何年もぶら下げ続けたり…
一つ言えるのは、謎の中にこそ、みすゞがいるってこと。
嗚呼、追いかけても追いかけても、謎は続くよどこまでも☆